商品のタグ
(文章途中で、非公開にしてたつもりが公開されていたので、書き足しました はずかしいー)
お店にもう人は来ないだろう、というくらいの時間から、こそこそと商品のタグを制作しています
木版でバレンで刷りです
極力お金をかけずに量産できる方法は?と考えると版画しかないなと、、、
そう、しかも何を隠そうわたくし学生時代の専攻は木版画だったのです、、、
なので、インクや道具は全てそろっているし、紙はネパールでまとめ買いしてきたものです
先月店をはじめてから「出来る限り、あるものでやる!!」をモットーになんでもやっております
こうしたいから、これが必要。ではなく、これがあるから、こういうふうにしよう。という考え方というか、、、
お金がないのもさながら、買わなくてもなんとかなるし、ずっと持ってるけどどうしよう?と思っていたものが
有効活用されたときの達成感というか、嬉しさはなんともいえんもんがあります
しかし約10年ぶりくらいの木版画ですが、またバレンを握る日が来るとは、、、
当時はあまりピンと来ず、やらなくなっていましたが、動機を思い返せば
「どこでも出来る(大掛かりな作業場が必要ない)」
「自然物を版にできる(途中からビニールとか使っていましたが。)」
など、手作業であることや素材など、それなりに自分が重要としている要素を含んだチョイスだったのなあと
刷りながら思い、無駄にならなくて良かったと、ひっそり胸を撫で下ろしています
あと面白いもので、作業していると、すっかり忘れていたような当時のこと(バレンをゴシゴシしていた頃のこと)
人や状況が、わーーーっと思い出されてくるのがとても面白いです
学生時代に考えていた作品に対する気持ちや制作についての疑問など、あ、もう解決されているな、ということもあれば、あいかわらずの疑問や課題もあり、なかなか興味深い時間になりました
手作業している時間というものは何事にも代え難いものであるはずだと直感的に気づいていた部分でしたが、
こうしてその行為をすることで、10年以上も前のことがこうも新鮮に記憶の中にある、
ということに気がつくスイッチの役割もあるのだ、と思うと、出来上がってくるもの(結果)が
自分にとっても他人にとっても価値があるかないかにそうかかわらずとも、すでに意味があることだし、
その直感的に気づいていたことに対する答えのひとつを見つけた気分になれました
夢中に作業するというのは、なんも意味なくてもとにかくたのしいもんですけどね!!
バレンの音が聞こえてきます
ユユの少しかがんだ背中もみえました
ありがとうー!