ネパール報告:到着前〜1日目
フェイスブックで経過を見てくださっている方が多いかと思われますが、こちらはこちらしか見ていない前提で
かつ、旅の記録としても書くので長いです 適当に飛ばしてください
フェイスブックと重複する部分もありますが、ご勘弁くださいませ
以前の記事にもアップしましたように、到着寸前に余震が起こり中国に一旦バックしての入国でした
聞くところによると、かなり揺れたようです
実はわたしたちは、当初9日くらいにに出発しようとしていたのですが、8日が仕事で準備が間に合わないのと
8日9日はよくないと、知人の占い師の方に止められ、10日は券がなく、
(わたしたちの動向を察すると、先方からこの日は駄目、とか良い、とか連絡くださる方がいて(笑)
11日発になったのですが、、、もし8か9日に出発していたら
どこで余震に遭っていたかによっては危険だったことでしょう
ありがとうございました
話戻りますが、そんなこんなで現地時間の14時半頃到着の予定が、カトマンドゥに着いたら23時頃でした
クンミンでの待ち時間も大変でした
5時間くらいのフライトでクンミンにカムバック、空港に戻してもらうこともできず機内で4時間くらい待ち。
そこでも事件が。。。
中国東方航空の規約?で、一人が「今日いやだ。明日がいい」と言いだすと、全員明日になるそうで
(なにそれ!?)
乗客の一人が言いだしちゃって、スタッフと乗客で皆でその人を説得!
真っ赤な顔して「絶対明日!!」と意地になっててどうしようかと思いました
(航空会社も必死。全員←70人くらいはいたかな、、ホテル泊めないといけなくなるし、、、)
わたしたちも、ただでさえ時間押してるのに、早く行きたいのにー!
そんな人が大勢いる中で、ひとり延期を要求するイギリス人(多分)
最終的には彼が飛行機をキャンセルして、ひとりクンミンに残る、ということに収まりました
電波もないから、空港に迎えにきてくれてるボビンに連絡もできないし(最終的には電話を借り連絡しましたが)
飛行機とばないとご飯もでないし、昼13時くらいに食べて以来、結局飛び立ってから晩ご飯で
多分もう20時くらいになっていました
スタッフも乗客も空腹でイライラってかんじでした
あんなに待つのであれば一旦空港に戻してほしかった、、、ずーっとシートに座ったままでした
時差の関係で23時着でしたが、時間の経過的には深夜1時とかそういう時間だったと思います
朝の6:30とかから夜中の1時まで移動、、、
もーくたくた
以前泊まったことのあった、タメル(観光客のための街)の造り的に丈夫そうなホテルにタクシーで行き、
遅かったのでその日はそのまま寝ました ホテルがやっていて幸いでした
大きな余震の直後は、避難する人も多いので。
夜中に三回くらい余震があり、かなり怖かったです 建物が丈夫なのが救いでした
翌日の朝8:30ボビンが車で荷物をピックアップしにきてくれて、ホテルの屋上で話しました
みなさんから集めた物資は、すべてボビンに渡して必要なところに分配してもらいました
お金も全額58万円を一旦ボビンに渡し、すれ違いで会えなかったチームゴルカのほうへ5 or 8万円(すみません、どちらか。)渡してもらいました。
そのお金で、お米をカトマンドゥからゴルカへ運んでくれたはずです。
こちらも、また報告を待ちたいと思います
残念ながら、彼らとは余震の影響で落ち合えませんでした
夜ライブがあるということだったので、一旦お別れ
カトマンドゥ・ゲストハウスの近くのマンダラストリートの中にあるカトマンドゥ・リゾートホテルに
泊まってたんですが、建物が橋みたいになってる構造の部分、ちょっと細くなってるとこはヒビが入ってました
5月の雨期直前のネパールは、光がとても美しかったです
わたしたちが到着する前日まで、タメルもそのほかのローカルエリアも、8割以上営業再開していたらしいのですが、余震でまた危険な建物が増え、みんな避難してしまい、お店はほとんど閉まっていました
ので、普段はお高くて(それでも400円とかですけど)入れないようなオシャレ系カフェしか
開いておらず、え?いいの?みたいな優雅な朝ご飯をいただいてしまいました
このように都市部は、食料の調達に困っているというような状況ではすでにありませんでした
農村部は、穀類など道路が寸断され運べなくなっているところもあるが、何も育てていない家はない
ということでした ネパールの底力すごい
午後になってようやく表にでました
いまにも崩れそうな建物もちらほら
こういう古い木で組んであるような建物はやっぱり強い
タメルからアサンチョークのほうへ南下していってます
店が軒並み閉まっています このへんももう復活してたらしいのですが。
サモサやさん
横でしゃがんで食べてると、シンナー吸いながら歩いて来た若い男の子が。
変な顔して近づいてくるので、からまれたらやだなーと思ってると、普通にサモサ買って横でしゃがんで
食べ始め、にこっとして「うめー」って言ってました こういうの、ザ・ネパール。
やっぱり普段より、シンナー少年が堂々と歩いてたりへんな人が多少多いような気はしましたが、
とくに治安が悪いということもなく、店閉まっててもガラス割れたりするでなく、平和でした
インドラ・チョーク
ラッシー屋さんがやってる!!美味でした
店は閉まってるけど、露店は開いてる!やるー!!!がんばれー
左のストゥーパは、いつもショール屋さんがあるところ こんなふうになっていたのか。
このあたりは、人とバイクと車と商品でごった返してて足元しかみれないんですが、はじめて建物とか
見ました。カトマンドゥ、きれいな街だなと初めて思いました(通常ごった返してるのでー!)
タメルを抜けて市場エリアに行く程、道幅が狭いところなんかはこわくてドキドキでしたが、
大きな余震さえなければ案外しっかりしてそうでもありました
でも、かなり危険な場所もあり、NO ENTRYになってるエリアも。(それでもみんな入ってたけど)
走って通り過ぎたい場所もけっこうあります
つづく